OB・OG訪問 vol.8(35回生:藤井聖子さん)

●編集前記

今回は35回生の藤井 聖子さんです。現在はキッズラインというベビーシッターのマッチングサービスの事業を行っております。場所は六本木、制限時間は1時間、インタビューアーの女性スタッフはお会いするまで緊張していました。しかし、藤井さんは女性として、母親としてキラキラ感満載で終始楽しいインタビューとなりました。ちなみに仲介役の支部長がバスケ部員だった頃、1つ上の先輩でバスケ部のマネージャーでした。


(注:Q=同窓会スタッフ)

PART 1: お父さんに二度の説得

Q  高校時代はどんな学生でしたか。

中学時代は山形に住み、親が転勤族で中学校3年生の時に愛知に引っ越してきました。いざ受験!ってなった時に、どこの学校を受験しようか色々調べているうちに千種高校の校風を知り、「自由な校風と自立を重んじている感じがすごく良いなぁ」と思って。早速塾の先生に「受験したい!」と伝えたら、「この成績だとちょっと厳しいかもしれない、近くにあるこの高校なら頑張ったらまだ…」と言われて。でも、その時「他の高校?…千種に絶対に入りたい」とさらに思いが強くなり、一生懸命勉強して、念願の千種に合格しました。

実際入学してみると、イメージ通りの自由な校風と、精神的にすごく自立している子が多いな、という印象で、高校時代は楽しかった思い出しかありません。勉強も大変でしたが学園祭も楽しかったし、みんな何事にも一生懸命でしたね。私はプレイヤーには興味があまりなかったのですが、「すごく強いバスケ部のマネージャー」として、選手の為にスポーツドリンクを用意したり、ゼッケン洗ったり、試合でスコアをつけたり、、、バスケ部員達の熱い思いに乗せてもらい青春時代を過ごしました。あと、ラグビー部も強かったですね。今でも自慢できる高校時代だったなって度々思い返します。

Q  3年間の中で特に印象強い思い出は何ですか。

バスケ部の試合ですね。私はスコアを書く為にベンチに座らせてもらっていたのですが、終了まで残り1秒というところで、選手が3ポイントシュートを決めた逆転勝利の瞬間は忘れられないですね。みんなの興奮、今思い出しても何だかドキドキします。ただ、私の父は、バスケ部のマネージャーをやっていると勉強の時間も取れないのでどちらかというと反対、というかあんまり最初理解を示してくれなかったんです。でも自分のやっている事に誇りを持っていたので、父を試合に招待したら、部員たちの姿に魅せられて応援してくれるようになりました。もちろん勉強もおろそかにしないという約束でしたが(笑)。結果、同学年の引退までマネージャーをやらせてもらうのを許してもらいました。そういう面では、部活が親とのコミュニケーションにもなりましたし、今では良い思い出です。

Q  関東の大学を志望した理由は何かありますか。

関東の大学の推薦枠を取って奨学金で大学に行こうと思ってました。でもその推薦をいただいて挑んだ面接でひやっとした思い出も。上京していざ大学の門をくぐると、他の受験生は皆スカートは膝下に、白い短いソックス。それに対して当時の私はというと、茶髪に超ミニスカートに紺のハイソックス! 思わず一緒に来ていた両親も、「みんなと全然違うけど大丈夫か、スカートはこれ以上長くならないのか!?」と心配してましたね(笑)。さすがに私も面接前はやや焦りましたが、面接本番では一生懸命挽回し、無事合格をいただきました。大学時代にも何人かは同じ大学だったのでキャンパス内で会ったりもしましたが、東京に出てくる人数自体少なかったですね。大学を卒業すると名古屋に戻る人も多く、みんな名古屋が大好きなんだなぁと思いました。

Q  大学生の頃に、起業されましたよね。

起業というよりは、最初は大学生対象のマーケティング会社でインターンをしていました。そこに登録してる子の中で、読者モデルやミス○○大学に輝くような子が登録していたので、女子大生のモデルエージェンシーを子会社として立ち上げることになり、その社長をやってみないかとその当時の社長に言われました。

「面白そう!大学卒業してすぐ社長の肩書を持てるなんてそうそうあることではないし、いろんな人に出会える!」と思い、チャンスがきたら乗ってみると性格なので、二つ返事で「やります」と言いました。ただ両親には心配されましたね。慶應まで卒業して、聞いたことがない会社の、しかもいきなり子会社の社長になる?!みたいな感じで驚いてましたね(笑)。
法学部だったので大学の途中まで弁護士を目指してダブルスクールに通い、3年ほど勉強していましたが、”法学部入ったんだからっていう親の期待や作られた道に自分を当てはめようとしていただけなんじゃないか” ”法曹界を目指すのは、本当にやりたいことなのか” “もっと面白い、ワクワクするような事の方が自分は向いているんじゃないか”と考えるようになり、大学3年生の時に、「こんなにお金出してもらってもらって本当に申し訳ないけど、私はこの世界(法曹界を目指すの)は諦めたいと思っている。大学卒業後奨学金も返していかないといけないし、すぐに働き始めたいと思ってるんだ」と二人っきりで父親と話して、二度目の説得をしました(笑)。最初は私の仕事に対して、とにかく心配していましたが、私が仕事している姿勢を見て、少しずつ理解してもらったような気がします。約2000人ぐらい登録者が居て、ミス東大とかミス慶應とか、今ではアナウンサーになっている子にも所属してもらい、企業から「広告でミス○○大学の子を起用したい」とか、「読者モデルにキャンペーンを手伝ってもらいたい」等の企業の要望にモデルたちをアサインしたり、プロモーションのお手伝いをさせていただいていました。

Q  大学の広告研究会とは別のものですか。

大学の広告研究会とは別で、広告研究会主催のミスコンでミス○○大学が選ばれるんですが、その子たちが個人でうちのモデルエージェンシーに登録してくれていました。大学のミスたちだけでなく、誰でもモデルになれる、というコンセプトだったので、沢山の女子大生に登録してもらい、お仕事をさせてもらっていましたね。今でもティアラガールという名前で、活動が続いていると思います。

Q  一般的な就職活動はしましたか。

数社、就活活動はしました。記念受験的にアナウンサーも受けてみたりメーカーも受けてみましたが、そんなにワクワクはしませんでした。そんな中、大学生の頃に、同じ大学を卒業した先輩と会って対談するという雑誌の企画に参加させてもらう機会があり、その時にお会いした方がものすごく輝いていらっしゃって、華やかな世界の仕事に憧れるようになりました。でもよく考えると、自分自身が輝くと言うより、輝く対象がいて、それをサポートする仕事に興味があるんだなということに気づいたんです。

バスケ部もそうですが、モデル事務所だと、女の子達がどんどん綺麗になったり、いろんな経験をする事によって学校では味わえないことや人と出会えたり、学校外の刺激的な友人に出会える環境を作れたあの当時の仕事は、女の子たちがみるみる綺麗になるのを目の当たりにして、とてもやりがいを感じていました。やりたい事を大学時代に方向転換して、今につながっている感じがしますね。

Q  タイミングって大事ですね。

そうですね。あと、タイミングが来た時、乗っかれるよう準備しておくのも大事ですね。
真面目に生きていると、チャンスがきた時にすぐに乗れるんです。


PART 2: 仕事のストレスは仕事でしか解消できない

Q  大学卒業後、しばらくは先ほどの会社で働いていて、その後今の会社に移られたんですか。

30歳まではその仕事をしてました。20代前半は激務で少人数で仕事をしていたこともあり、会社の近くに引っ越し、一時期夜中の3時に帰って、3時半に寝ては10時に出社する生活をしてました。「この生活は結婚して子どもを産んだらできないな」と漠然と思っていたので、独身時代はがむしゃらに仕事をしていました。その後29歳の時に1人目の子供を産み1回復帰しましたが、2人目を産んで復帰する時にいったん区切りをつけて、会社を後輩に任せました。区切りをつけようと思ったのも、女子大生の目線から、お母さん目線に変わり、「その感覚にズレがあるといい仕事できないな」と感じるようになったからです。そこでトレンダーズという20代後半から30代の女性のマーケティングPR会社の社長から「うちで働かない?」と誘ってもらい、今の等身大の自分の目線で仕事ができるのではないかと思い転職を決めました。

しばらく経って代表がトレンダーズを退任することになり、新しくキッズラインを立ち上げる話を聞きました。「こんな事業(ベビーシッターサービス)やろうと思っている」と聞いた時、「私も参画したい」とすぐに思いましたね。まさしく輝く女性をサポートする、これから必要とされる事業だと。

今の仕事と女子大生の仕事も似ているんですが、女子大生の仕事は、目の前に女子大生の子がいて、いろんな経験をする事によってどんどん洗練されて行って、綺麗な女性になっていく所が目に見えてとっても魅力的でしたし、今のベビーシッターサービスの仕事も、働く女性が家族以外にベビーシッターという育児パートナーを見つける事で、空いた時間を活用して人生を輝かしい物にするお手伝いをさせていただいて、とてもやりがいを感じています。

Q  夜中の3時って想像すると…ぞっとするっていうか…なかなかブラックですね(笑)

そうですね。ただその時は、私がやらなきゃいけないという使命感もありましたし、他に誰もやる人がいないっていうのもあったかもしれないですが、やらされて苦しくて3時まで働いたという感覚はあんまりありませんでした。
むしろ「あの時あれだけ頑張れたんだから」という自分の自信に繋がっていますね。こういう経験を今の子達はおそらくしないと思いますが、これが頑張った自分の「証」になっていると感じます。

あと仕事に対して好きな気持ちがあると、長く働けるのだと思います。逆にサービスや商品を愛せなくなってしまったら、それは転職のタイミングなのかもしれません。当たり前だと思いますが、好きなことに携われる方が、自分も気持ちよく仕事ができますもんね。あと、働いてるメンバーを尊敬できるかは重要だと思います。「人」ですね。この人についていきたい、とかこの人かっこいいなとか。そういうものがあると、この人のために頑張ろうという気持ちになりますし、この人みたいになろうという目標ができると思うんです。そもそもサービスが好きじゃなかったら精神的にも仕事がハードであればあるほど続けられないと思います。

Q  その当時何か楽しみとかありましたか。リフレッシュの方法とか…。

結構夜遅くまで仕事してくれる仲間がいたから頑張れてたというのもありますし、土日は友達と遊んだり、合コンしたりとか(笑)でもその時わかったんですが、「仕事のストレスは仕事でしか解消できない」と思ったんです。
ストレス発散に買い物したから、仕事がどうにかなるものでもないし、友達に話したり、親に話したからと言って仕事の悩みが完全に解消されるわけでもない。でも失敗した事に対して取り戻せる成果を発揮できたり、みんなが喜んでくれる事をできたりするとストレスは解消されるんですよね。今思えば、仕事の中でストレスが溜まって、それをまた解消してということを繰り返してきているような気がしますね。

Q  家庭内のストレスはありますか。

子供が小さい時はありましたね。子供ができると、生活は一気に子供のペースに!自分の好きなペースでは動けなくなったことにストレスを感じていた時期がありました。今ちょっと仕事をしなければいけないけれど、横で「ママ~!ママ〜!」って泣いてる。「ちょっと待ってね、ちょっと待ってね」となだめながら仕事をしていた時もありました。でも私は自社のシッターさんにもお願いしていて、自分が保育園にお迎えに行くのは週に2,3回。週3回はシッターさんやおばあちゃん手伝ってもらっています。週1回は夜自分の時間を持つようにしていて、その時間を仕事に充てる事もあれば、買い物に行くとか、ネイルに行くとか、お友達と会うとか、主人とデートするとか、自分のペースで過ごす時間を敢えて持つようにしています。今は子供が5歳と8歳で大きくなってきたのでコミュニケーションも楽になりましたし、その時間を作ってとても良いバランスが保てています。また保育園のお迎えから寝かしつけ前まで(時には寝かしつけまで!)シッターさんに全てお任せしていて、私が家に帰ってきたら、全面的に子供に愛情を注ぐ時間に充てる事ができるんです。お金はかかるかもしれませんが、子供と愛情のある時間を過ごしたほうが子供の心も安定することがわかりました。

働き盛りで今まで自分のペースでなんでもできていたところに子供ができると、ペースがつかめずストレスを感じる女性は多いと思います。子供が泣いてトイレにいく事もできないとか、ご飯を食べようとしたら泣き出して自分は食べられないとか、子供のお世話に奮闘して自分が初めて食べる食事が”夕食”だったなんてこと、普通にあります。子供ができてから、自分のペースでタイムマネジメントができるという事が、ストレスも少なく、貴重な時間だったということがわかりましたね。

もちろん子供は宝で、子供との時間は幸せを感じています。でも自分でコントロールできる時間に感じる幸せはまた別物。だからこそ、学生時代からその貴重な時間でやりたい事を見つけたり、熱中して仕事をしておくは、その後の人生をすごく彩豊かなものにしてくれるのではないかと思います。
そこでしっかりキャリアとか、周りからの評価をもらうことができたら、子供ができて産休育休というお休み期間が終わったとしても、ちゃんと受け入れてもらえると思います。

女性は、子供ができたらお母さんでなければできない仕事はいっぱいあるので、初めての子供だとさらに育児ストレスを感じることもあると思うんですが、そんな時間も実は一瞬で、楽しんだもん勝ちだと思います。子供は手が離れていくし、子供が大きくなった時にまた自分がやりたいことができるように、学生時代や独身時代にその基盤をつくっていくことは大切だと思います。


PART 3: 千種で過ごした日々を誇りに思って生きてほしい

Q   就活で大事だと思う軸は何だと思いますか。

採用をする側として、なんかこの人キラッと光るなっていう人の方が採用したいと思します。
例えばガッツがある、こんな経験、こんな修羅場くぐりぬけてきた、この精神力があればどんな仕事でもできる等。専門職だと、スキルとか勉強してきたことが一番評価される部分になると思うんですが、それでも仕事ってどれだけ愛情をこめてできるかということが大切なんじゃないかということを最近気づきました。
そんな風に仕事に携われる人は、どこに行っても活躍できるんではないかと感じます。「この子を仲間に入れて仕事をしたい」といかに思ってもらえるか、ですね。例えば「○○という大きな仕事をやるために私はこの会社を志望しました。○○という事業にすぐに携わって成果を出していきたい」と面接で語るのは、夢があって素晴らしいことだと思いますが、「自分がやってきたこういう経験を少しでも生かして頑張りたいですが、どんな仕事でも勉強だと思って何でも挑戦したいです!」くらいで言われた方が、鍛えがいがあっていいなとすごく印象が良いのではないかと思います。あとはその商品やサービスが好きだということは絶対にあった方がいい。学生時代に好きをちゃんと見つけられたら、すごく幸せな社会人生活を送れるのかな、と思います。

Q   これからの展望はありますか。

40歳になった時に仕事人として何者かでありたいなと思います。仕事で成果をきちんと出して、会社でも頼りにしてもらえる存在でありたいなと。そんな存在になれば、おばちゃんでもまだもうちょっと仕事をしてもいいと認められたというふうに考えようと思っています(笑)あとは会社の一員だとしても、自分の名前を覚えてもらって名前で仕事ができる存在でありたいなと思っています。

Q    最後に千種卒の大学生へメッセージを……

千種で過ごした日々を誇りに思って生きてほしいです!活躍の場はそれぞれに必ずある。そしてそれを叶える力を千種で学んでいると思いますので、早く見つけてどんどん活躍していってください!私も頑張ります。

藤井聖子さん、ありがとうございました。

●編集後記

支部長以外は全員女性でしたので終始キラキラしたインタビューとなりました。支部長にも保育園に通う子供がいますが、藤井さんの熱い思いに胸を打たれました。ありがとうございました。