OB・OG訪問 vol.4(23回生:明比 益人さん)

千種高校を卒業し、各方面で活躍するOB訪問企画、第4回目は23回生の明比さんです。
明比さんは現在SONY勤務でイギリスを拠点に活動していますが、
インタビュアーのスタッフも偶然イギリスに短期留学してた事もあり、海外OB訪問が実現しました。


(注:Q=同窓会スタッフ)

Q: 今現在どのようなお仕事をされていますか?
大学院を卒業してからずっと SONY なんですけど、今は SONY  mobile という携帯電話を扱っていて、このオフィスは SONY mobile のヨーロッパの販売マーケットの拠点なんですね。
そのヨーロッパを全部見ているのと、イギリスマーケットの販売チームもありまして、僕は今そこにいます。
イギリスの販売の拠点オフィスで、事業戦略や販売戦略、ビジネスプランニングという仕事をしています。

Q: もともと海外で働きたいと思っていたのですか?
もともとというか、いつごろからそのように思い始めたのかは覚えていないのですが、たぶん大学に入る前後だと思います。
できれば海外で、というか海外に関係のある仕事をと思っていたような気がしますね。
それで SONY という会社が、ずいぶん昔、30年位前の話になるのですけど、イメージ的にも海外ですごく有名なブランドだったし、ここで仕事ができたらいいなと思って入りました。

Q: 海外に行きたいという思いはやはり高校の影響が強かったですか?
高校の影響はわからないんですよね。
僕の時にたしか国際教養科が1期生でしたが、僕は普通科であまり交流もなかったので・・・。
なんかすごい人、タイプの違う人がいるなっという程度でした(笑)。
もともと子供のころ海外に住んでいたとかではなかったので、高校がどうのこうのとかではなく、父親が持っていた英語の雑誌とか見て影響されました。
高校入学してすぐ先生が本当に生徒にまかせっきり、という生活に驚いたのを今でも覚えています。
友達ともあっという間の三年間だったけど、今でも心の底に残っている大切な三年間でした。
同級生に久しぶりに会ってもそのままだなあって思います。

Q: 大学は何学部でしたか?
大学は工学部です。
理科が好きで物理が好きで、でも化学は苦手で、生物もそんなにという感じでした。
地学は星とか天文も好きで、物理に関しては学校の授業がつまらなくて、自分で勉強とかもしようというくらいの気持ちでした。
それで物理、工学ができる大学に進みたいと思い、東京に進学しました。
大学院に関しては、学部の半分以上の生徒が院に進学していたので当然のように思っていたのと、勉強するのも好きだったので。
大学ではテニスサークルと野球サークルに参加していました。
アルバイトは時間を見つけて家庭教師をしていました。

Q: 高校時代の思いではありますか?
家が知多の方で学校まで遠く、野球部の朝練と勉強とで忙しい日々でした。
学校での行事はあまり記憶にないんです。
僕ほとんど海外に住んでいるのでその頃の友人たちとはほとんど会わないんですが、こないだロンドンでの千種の会に参加してきました。学校の思い出とか今やっていることなんかを話しましたね。

Q: 楽しそうですね、海外で同窓会をするなんて。
楽しかったですよ!なんでロンドンでってなりますよね(笑)

Q: 海外生活はどのくらいになりますか?
就職したのが 1994 年なんですけど、それ以来日本で仕事したの2年間だけで、一年目東京で働いて、4 年間アメリカのサンディエゴに行ったんです。
そのときは、今は販売とかの仕事していますけど、もともと工学部を出ていたのでエンジニアの仕事をしていて、その当時の携帯電話の設計の仕事をしていました。
そのあと日本に 一 年帰って、2000 年に日本を出て以来ずっと海外に住んでいます。
2000 年にフランスのビジネススクールに MBA を撮りに留学しました。その時は半ば退社をするつもりで。
きっかけは、技術者として今後の未来に限界が来るのではないかと思ったのと、技術があってもビジネスとしてうまくやっていくために別の何かが必要なのではないか、と思いチャレンジしました。
そのあと退社しようと思っていたのですが、フランスでの留学を終える手前に、SONY Ericsson との共同事業が始まって面白そうだなと思い 、SONY に復帰してロンドンにきました。
2年間、新しい会社としての立ち上げに取り組み、国も違う、やり方も違う、得意分野も違う人たちを組み合わせ全世界でうまくやっていく、というプロセスを組んでいました。
その頃から技術的なことではなく会社の戦略・管理機能を担当しはじめ、そのあと商品開発をスウェーデンでやらないかという誘いを受け、2003 年にスウェーデンに行きました。
数年のつもりだったんですけど、7 年も滞在していました。
その当時は、これといったイメージもなく知り合いもいなかったんですけど、今となっては第二の故郷のような場所ですね。
その後2010 年にアメリカに行きました。
その頃、Android  スマートフォンの立ち上がりで、後れをとらないようにしっかり土台を作りに行きました。
シリコンバレーで2年間いて、ロンドンに戻ってきました。

Q: 外国語はもともと話せたのですか?
英語は子供のころに海外に住んでいたわけでもないですし、せいぜい学校で勉強した程度だったので、ラジオで聞いたりしていた程度ですね。
大学の時も読むことは出来たけど、話すのはあまり得意ではなかったですね。
大学院 1 年の時にフランスのパリに企業研修で行ったので、フランス人の友達ができたりして、フランスの方が話せる時期もありましたね(笑)

Q: 在学中にフランスへ行ったようにどこか行かれましたか?
留学はしていないのですが、海外研修に2度行きました。
大学院1年のときにパリに1カ月、卒業前にアテネに4カ月ほど夏に行きました。
そういう若いころの経験に鍛えられましたね。
特にギリシャには技術系の学生の集まりに独りで行って、周りの人はヨーロッパはもちろん南米、北米と本当に色々なところから来ているような環境で過ごせたので、度胸がつきました。夏だったので一緒にビーチに行ったり。

Q: ほかに旅行などは行かれましたか?
こないだふと思い出したんですけど、大学の時にロンドン、フランス、ベルギーに行きました。
それが初めての海外旅行でしたね。

Q: 海外で働こうと思うようになった強いきっかけはありますか?
旅行とかではなく、パリでの経験がものすごく刺激的でやっぱり海外で仕事したいと思いました。
出会いも楽しかったし、パリという町がまた魅力的でした。
ここで海外で働きたいと思う気もいがぐっと強くなりました。

Q: 海外で働きたいと思っている学生に何かつたえたいことはありますか?
やっぱりチャレンジが大切だと思います。
チャンスがあるときは頑張ってもらいたいなと思いますね。
自分のやりたいことや得意なことを、広い世界で挑戦してほしいなと思います。
職種は今変わりましたし、留学とか経験を経て今の職種についたので、始めから1本の道だけを見ずに経験を積んでチャレンジして、学んでいけばよいと思っています。

Q: フランスとサンディエゴが転機になったと思うのですが、どのように心が動きましたか?
サンディエゴへ技術者としていったのですが、現地の技術者とのレベルの差が見えてしまい、この土俵で対等に戦うことが無理だと肌で感じてしまったんです。
このままコツコツ技術を積み上げていってもどこかで壁にぶつかる、これ以上伸びないと思ってしまい、自分のアングルを変えていこうと思えるきっかけになりました。
このときに英語を使って生活していたので、英語のレベルも上がったし、留学することへのハードルが下がりましたね。

Q: どこで転機に出会えるか本当にわからないですね。
わからないというか、今思い返せば、という感じですね。
チャンスがあるところじゃなくて、自分の信じるところに行って欲しいですね。
自分にとって何が一番大切なのかそれを見つけて欲しいと思います。